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zoom RSS 「ハムレット役者 芥川比呂志エッセイ選」

<<   作成日時 : 2007/06/12 20:24   >>

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芥川比呂志が名エッセイストであったとは全く知らなかった。

阪神ファンじゃなかったら、その存在に気をとめることもなかったかもしれない。
昔々、彼が“自分とよく似た人間がいるものだ”のように小山正明について言ったというエピソードを読んだとき、也寸志の面長の二枚目ぶりはまさしく父親を彷彿させるものだけれども、小山正明の四角くて鼻(の穴)が自己主張している顔がどうして龍之介の息子と似ているんだろうと、わけがわからなかった。が、映画「雁」で納得。

そして、講談社文芸文庫のこの一冊で彼が名文家と賞されていることに納得。
まだ接したことのない芥川龍之介に出会えたらと期待して手にしたのだが、満足できた。
長男命名の最後を自分で決めかねたことを「いかにも父らしい」「ちょっと恐かったのだろう」と綴られる父と、「物事を大きく裁断する力」を持っていたと評される母。この対照は、夫婦としての、男女としてのありようにどのように作用しただろう。

「ナンシー関の記憶スケッチアカデミー」を直前に読んでいたから、「芥川」をセリカワ、チャガワと間違えられるというエピソードには苦笑。カラシガワと言われ「あっけにとられた」「ずいぶん、ややこしく間違える人だと思った」というくだりに及んでは、“脳機能や記憶の不思議さ”を思わずにはいられない。記憶アカデミーの症例はいつの時代にも存在する。

閑話休題

父親の文章からニヒリズムを最大限取り去り、あたたかな包容力を加えた彼の文章は、しかし繊細な美しさにおいて父親のそれと似ている。
「二階の書斎にいる父が、私にとって、知らぬ世界の父であるように、私の幼稚園は、父にとっての知らぬ世界である筈だったから。」(「父の映像」より)の一文には思わず息をのんだ。“まさしく父親を彷彿させる”研ぎ澄まされ方が胸に迫る。
絵は描いてくれるが描き方は教えてくれない、万事がそうだったというエピソードに「侏儒の言葉」の一編を思い起こしたり、「スプリング・ボード」の言葉が使われているのにはっとしたり、ついつい父親の面影を見ようとする自分には、彼のどんなときも物事の明るい面を見ようとする姿勢が幼少期の悲劇ゆえにより色濃いものになっているように思えて、切ない。

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