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zoom RSS 「エラリー・クイーン」♯6(ネタバレです)

<<   作成日時 : 2005/11/11 20:42   >>

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「今回はアンフェアじゃない?」と危なく書くところだった。だって、最終的に今回の最もキーポイントとなるドレッシングルームの様子なんて我々に示されていないじゃないとばかり思ってしまっていたから。でもビデオで改めて見れば、被害者がリングで倒れてから控室に運ばれ、そして死んだ“あかし”としてシーツで頭の上まで覆われるまでの光景は確かに描かれている、ごくごく短くも、でもきっちりフェアに。注意する・しないの問題外としか受け止められない、余りにも自然というか当然の成り行きとして必要最小限にして十分に展開されている。
また、一番の被疑者のスパーリングパートナーが実は大学で薬学を学んでいたというもの匿名のタレコミで明らかになり大きな嫌疑のもととなるのだが、事件発生後間もなく彼の恋人がエラリーに相談に行ったとき既に彼が大学に通っているということは言わせている。ただし、エラリーにかかってきた電話により話は中断されるのだが。そして、ちゃんと的を射ているのかどうかよくわからなかったいつもの視聴者への挑戦の言葉も、ビデオで見直せば押さえるべきところを押さえてるんだ。当たり前のことなんだけど。

「さぁ楽しませてもらいましょう」とすごーく期待して臨んだ第1回が“あらっ”という感じだったので、そのはずされた印象がどうも残っているようだ、いまだもってして。だって、初回は明らかに心理作戦ものだったでしょ。論理詰めで展開されるかと構えて見ていた方としては、“これってあり?”という感想だった。そしてなぁんか眠気を拭い切れないTV番組としてのいまいちさ。申しわけないが、エラリー父子の配役ミスに起因するところ大なんじゃないかな。
でも、1回見てどーもすんなりいかなくとも(コロンボはそんなことなかったんだけどね。幼いながらもオチの鋭さにしばしボーゼンとなれたもんだ)、ビデオで再度見れば、そう、結末を把握した上で改めてたどれば、以前にも書いたが「なるほど」の山、山、山…。だから、実際脚本はしっかりできているんだよね。あと9回かな、素直な姿勢で味わわなきゃ損ってもんですね。

エラリー家でのコーヒーが朝の残りなんだか夕べの残りなんだかってやりとりで、かぎは毒の飲ませ方だと大体想像はついた。でも、私が察せられたのはそこまで。次のコーヒーを飲む場面でも大いに注意を払っていたが、ポイントは飲ませることそのものではなく、毒を何かに混ぜる場合いかなる動きをするかというところだったんですね。「注ぎ入れるものは利き腕で持つ」という鋭い観察眼には心地いいまでの脱帽感を満喫できました。

恒例の「無理やりコロンボとの結びつけ」、今回は正直思い浮かばないのだが、まさしく無理やりいくとすると、リー・グラント&吹き替えの山東昭子(彼女は古い外国物の吹き替えでしか存じ上げないが実に魅力的な演技者だと思う)がすばらしい「死者の身代金」の逆バージョンかなと。既に殺しておきながら誘拐事件に仕立てたこの作品に対し、まだ生きているのに周囲に死亡を宣告しておいて自らの手で死をもたらすって、今でもなかなかのアイデアなんじゃないか。現在では既にだれかがどこかで使っているんだろうが。そして、先日このシリーズの殺人者にはコロンボものと違って哀れむ余地もないみたいなことを書いたばかりだが、今回の犯人の行動には娘への思いが存在する。などと、ここまできてもこのプログラムをいかに楽しめばいいのか右往左往している私。先が思いやられる。余談だが、「死者の…」でのキーパーソンたる犯人の義理の娘の声は若き日の上田みゆき。当時はちょっぴり杉山佳寿子似。レスリーvsマーガレットごとき山東昭子と上田みゆきの“対決”、なかなか好きです。聞きごたえあり。
そして、今回はどんな書物、作家が出てくるかと思っていたら、さらっとディケンズの「大いなる遺産」に触れられたのでした、はい。

エラリーがひらめくシーンにものすご〜く昔のことを追体験した。リチャードがコーヒーにミルクを入れる場面だ。どう見てもあれは普通の牛乳でしょう、そのままごくごく飲んだりシリアルにかけたりという。昔々アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズを読んだとき、主人公の子供たちが森やらヨットやらとにかくどんな冒険先でもお茶(もちろん紅茶)することにカルチャーショックを受け、加えてお茶にミルクを入れるという描写についてどうしても理解できなかった。それまでの私にとってのミルクティーというのは、既に温めた牛乳で葉っぱからお茶を抽出するものか、または普通に入れた紅茶にエバミルク等の濃縮タイプのものや粉末状の乳成分を加えたもの。つまり、当然ながらにお茶としての濃度と温度はあくまで濃く熱いもの。そうじゃなくなったものなんて何で飲むか?としか認識していなかったので、このすばらしい冒険物語にわくわくさせられながらもお茶の場面には非常に違和感を覚えていた。だって、普通に入れた紅茶に牛乳をいれたら、薄くはなるは、温くはなるはじゃない?そういう代物をおいしがって飲んでいるの?その違和感、疑問が、リチャードがどう見てもフツーの瓶入りの牛乳をコーヒーに入れるシーンで甦った。コーヒー、温くなって薄くなるんじゃないかなあ。今さらではありますが、英国及び米国における「紅茶又はコーヒーに牛乳を加える」というときの現実としての行動様式とその際の彼らの認識、例えばこれから口にするものの温度、濃度について、私には正直想像がつかないので、コメントいただければ幸いです。

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今さらながらの書き込みですが、この前、日本公共放送で「さらば冬のかもめ」を見て…。この回のボクサーの顔にはどーも見覚えがあるなと、かつオーティス・ヤングという役者の名前も絶対どこかで知っていたはずだと思っていたが、「さらば…」の彼だったんですね。ごめんなさい、思い出せなかった自分が恥ずかしいです。
それ以前に知っていた“よく見るわき役”がデニス・クエイドのお兄さんであることを知ったのは結構時間を経てからだったけど、本当にここでのランディ・クエイドは若かった。そしてJ・ニコルソンにとっては、姉だと思っていた存在が実は実母だとわかり、その後の人生の分岐点に当たる時期の作品がちょうどこの「さらば…」のだったと何かの文章で読んだことがある。
とりあえず、この回を見てオーティス・ヤングに結び付けられなかったことに、恥じ入りつつ申しわけなく思うばかりです。
ぐれた
2006/03/05 20:20

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