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zoom RSS 字幕の追憶、追憶の字幕

<<   作成日時 : 2004/11/27 18:43   >>

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私の英語力は中学生レベル。ヒアリングなんてとーんでもない話。そんな人間が字幕なしのアメリカ映画を見に行っていいんでしょうか。
いいんです!(もちろん川平慈英調で)

マルクス兄弟の2本立てがあるというのですっ飛んでいった自主上映会場。実は、字幕なしだと事前にわかっていたのか否か記憶してないんです。ただただ鮮明に覚えているのは、映画が始まった途端に私を襲った”頼りなさ感”と居心地の悪さ。おしりのあたりがむずむずする感覚というのを本当に体験しましたよ。でも、どうせ”売り”の一つのグルーチョのしゃべくりも翻訳されれば換骨奪胎なんだし……
そして、なんてったてハーポ!愛すべきハーポはそんなシチュエーションにあってもいつもと変わらず私を楽しませてくれる。何かの書き物で彼を”堕天使”と形容していました。人の間を軽々すり抜けいたずらして回っているかと思ったら、幸せそうな表情でハープを奏で、美しい音色でうっとりさせてくれる、そう、まさに彼は地上に降りてきた天使。何者にも支配されず、何者にも媚びない。その身軽さ、自由さは、日々、意識・無意識にかかわらずいろいろなものに縛りつけられ縛りついている身にとって、全てを忘れさせてくれて解放を与えてくれる存在。芥川と比較して内田百閧フノマド的な身軽さを述べていた文章を読んだことがあります。それはある種の人間にとって生き続けるのに必要なもの。一緒にはできないでしょうが、私にとってはどこか似たありようかもしれません。コモン・センス、常識の範疇外で飛び回るハーポはこれからもずっとわたしの天使。

「それで彼女はああいう格好をしていたのか」、これは「追憶」の後にグルーチョを知ることになる誰しもが思うことでしょう。

「追憶」にこんなワンシーンがあります。映画の前半、B・ストライサンドの家の玄関からR・レッドフォードが出て行こうとするところにちょうど彼女が戻ってきます。彼のために夕食の買い物までしてきて、どうしても引きとめたい彼女は言います、「パイもあるのに」。すると彼、「What kind of pie?」。正しいかどうかは知りませんよ、最初に書いたように聞き取りなんかできないんですから。でもスクリーンを見ていて”あれ”っと思ったのは、ちょうどそのシーンは予告に使われていて、予告編では「何のパイだい?」という字幕がついていたのでした。一方、本編の字幕は「いただくよ」だったのです。
……どうなんでしょうねぇ。彼のそのセリフを受け、彼女の表情がパッと嬉しそうになり、たしか2人して家に入っていったと思います。引きとめに成功したわけで、「いただくよ」の意訳はそのシーンの流れに全くスムーズにマッチします。でも、会話の幅、奥行きという点からすれば後者の方がまさっていると言わざるを得ません。”行間を読む”という言い方がありますが、まさにその物言いであらわされるところの懐の深さを持っていると思います。前者ではスムーズ過ぎ。直訳の方がシナリオのままの膨らみがあったというケースだと思います。

なあんて、字幕を制作する方々の苦労も知らないから勝手なこといって。
「追憶」にしてもマルクス・ブラザーズにしてもずっと愛され続けるに値するものだと思うから、若い人にぜひ見てほしいですね。

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