最後の更新です

1カ月に1回更新できなくなったらやめようと前から決めていました。その日がやってきました。

CDをかけながら片づけものをしていて、偶然スガシカオの「夕立ち」をBGMに十牛図についての文章を読む状況になったことがあります。十牛図がメーンのテーマでもなければ禅の本でもない、ただ工作舎の本というだけで面白そうだからと自分で買っていながらすっかり忘れていた「円相の芸術工学」のレクチャーの一つでした。
もちろんその前から「夕立ち」はとても好きな曲でしたが、講演者の語り口の柔らかさと、十牛図の第六「騎牛帰家」の図柄としての穏やかさにほのぼのしみじみ温かいものを感じながら、そして、第七以降の宇宙的な展開にあっけにとられながら聞くという体験は、「夕立ち」を私にとって特別な存在にしました。

こう書くとまるで今ラジオで流れている赤塚不二夫の「これでいいのだ」を使った公共広告機構のCMだけど、曲を聞いたからといって現実の問題が解決するわけでも困難が解消するわけでもありません。ただ、たまに遠くを見ると少しは目が休まるように、その体験以降、「夕立ち」を聞くと、喜怒哀楽に困や苦、荒に嘆という意識から少し離れる感覚になれて助けられています。
聴覚筆頭にこちらの五感がクリアになるようなところと独特の距離感が好きだったのですが、その“独特の距離感”がより独特に、より深くなりました。

「春にして君を離れ」という実にそら恐ろしい人間ドラマをものしてみせるアガサ・クリスティーは、徹底したシニシズムと徹底したロマンティシズムを平気で併存させます。「ホロー荘の殺人」の最終章でのある登場人物のありようへのシンパシーが救いであり慰めだった時期もありました。

それとは全く別の地平で「夕立ち」(with十牛図)に救われる今。
効用限界は怖いですが、もしかしたら来ないかもしれないし、助けられるなといっときでも感じることは本当にありがたく、聞き続けています。効用限界の前に飽きが来るんじゃないかと思うほど。でも、飽きないですね。助けられています。

ウィキにも載っている相国寺の十牛図がかわいくて好きです。
絵として見てばかりいないで、中身を学ぼうとしろよと自分につっこむのは毎度のこと。絶対の無の境地など目指すことすらおこがましい私は、今日も「夕立ち」を聞いています。

これまでコメント、TBしてくださった皆さん、読んでくださった皆さん、感謝感謝です。本当にありがとうございました!!

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