とまどうメドゥーサ

メドゥーサって、髪が蛇で彼女を見た者を石にしてしまうけれども、彼女が見たものはどうなるんだ?

自分が持っている『醜女の深情け』的要素は随分昔からわかっていて、どこかで“発散”しておいた方がいいだろうと思っていた。08年9月11日にその文字が出てくるのは実はそのため。9月11日は私の誕生日。自分なりの重い吐露ではあったのだ。あれっぽっちの行数だけど。

それとは別に気づいたのは、自分が見る対象はどうもうまくいかなくなるのが多いということ。
故人や子供のとき好きだった存在、それから直接の勝ち負けとはまた違う世界の存在はともかく、ある程度の年齢になってから目を向けるようになった対象は、“勝利の女神の満面の笑み”でキャリアを終えられない、あるいは自分が見るようになってからそれまでの紆余曲折がそれだけでは済まずに艱難辛苦を味わうようになるパターンが妙に多い。
固有名詞を出すのもはばかられる限りだが、あれほど栄光をほしいままにしたJ・ベラスコ率いるバレーボール男子伊チームがどうしてオリンピックの金メダルだけ手に入れられないって??“横目”で好きだったジョー・カルザゲは、ケリー・パブリックとの対戦もすり抜け、見事全勝で引退した。片やデラ・ホーヤがあのようにパッキャオに引導渡されるとはだれが予想した?ベネズエラのゴールデン・ボーイの“足踏み”だって一体だれが思ったろう!?

・世の中万事何が起こるかわからない。
・どんな存在だって栄光にまみれっぱなしでキャリアを終えられることはそうそうまずない。
あるいは
・優れたところを嗅ぎ分ける能力、見る目が自分にない。
・おのれが好きな対象だからこそその曲折を大きく感じる。
はたまた
・実は、自分が見ていなくとも大丈夫、他の大勢が目を向けてるからということで、順風満帆あるいは十分秀でた存在には自分は惹かれない。つまり、自分が自然に見つめてしまうのはどこか危うさを感じる存在、いろいろな意味で。

もっと挙げるべきことが抜けているとしても、まあ外れてはいないでしょう。
上の二つはいいとして、そして中の二つもともかくとして、問題は最後。じゃあ逆に自分が見なければ……というとまどい方をするのは、木々高太郎の影響のはしくれか。

メドゥーサだって、ただ見ていたいものにすら災厄をもたらすのだったらその悲しみはいかばかりか。神話ではセーフだったかしらね。ゴルゴン三姉妹のうち彼女だけが不死ではなかったそうで、それはせめてものことと思うばかり。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック