文字のチカラ-“トロッポ タルディ”

NHKラジオ第1「土曜あさいちばん」の6時15分からのコーナー「著者に聞きたい 本のツボ」、7月12日のゲストは「平成大家族」の中島京子。
いつにも増して野口キャスターはゼッコーチョーで、著者とのやりとりに、ああ、この本読んでみてもいいかな~と思った。それって、紛れもなく“ホスト”として最高の仕事である。

連作集のこの作品、そのうち1編のタイトルは「トロッポ・タルディ」なそうだが、おもむろに片仮名で表記されるのを見るのは初めてだ。
うーん、何だか拍子抜け。

「遅すぎる」を意味する“troppo tardi”、時刻としての「遅すぎ」とともに、「もはや手遅れ」の意も持つ。音の発音し易さ、親しみ易さ(促音プラス半濁音の弾む感じと、アクセントとして安心して比重を置ける母音プラス抜け感伴う濁音ってリズムがいいんじゃないか)の一方の意味としての重さ、深刻さが好きな言葉なのだけれども、「トロッポ・タルディ」という文字を目にした瞬間、後ろからひざカックンされた感じ。
ええ~っ、この軽さは何?(……「時をかける老婆」というタイトルもあるそうだ)どこからきてるの?

どこからきてるか、わかった、わかりましたよ。
トッポ、ロッテのトッポの存在なんだわ。ガーナチョコとのコラボはおいしかった♪ああ~、片仮名で書かれたときの“おまぬけ感”はノッポトッポちゃんのイメージからなんだ。いやいや、ノッポトッポちゃんには罪のかけらもないの。ただただ、ブラックボックスとしての個人の何でもありさと、ビジュアルとしての文字のチカラにくらくらせずにはいられない。

逆パターンもあります。
「バルバロッサ」、こう片仮名で見ると私には妖しく美しいヨーロッパの貴族ってなイメージだけど、“barba rossa”とアルファベットになると、テキストとして辞書を引き引き読んでいた民話の赤ひげ以外のなにものでもなくなってしまう、むさ苦しい!
片仮名だと何でそういうイメージになるのかなと考えてみたら……、「パタリロ」のバンコランからでした。げげっっ!

文字のチカラは偉大なり!

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック