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zoom RSS やけくその「めまい」、いたいたしい「マーニー」

<<   作成日時 : 2009/12/03 03:39   >>

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左のCD、シンフォニア・オブ・ロンドンによる演奏の印象は“やけくそ”。バーナード・ハーマン作品集等の別演奏と比べてもやたらテンポが速いし、金管にしても木管にしても時にキコキコかまして、この演奏を音源として残すとは何て大胆、逆の意味でスゴイと最初は思っていた。でも、長く聞いていると当然のことながら慣れる。慣れる以上に、これがふさわしいのだと思うようになった。なぜなら、ジュディを見つけてからの再びマデリンを得ようとするスコティのなりふり構わなさは、もはややけくそと化しているのだから。
後年、右のジョエル・マクニーリー版を購入したが、どうも物足りない。既に“やけのやんぱち”演奏によって、行き着くところは破滅と喪失であるスコティの盲目的焦燥を追体験することが快となっている身には、均整を感じる「めまい」はあり得ない。           

画像素晴らしいスコアのやけくそな演奏がミソの「めまい」。片や「マーニー」はスコア自体がやけくそに思えてしまってどうしようもない。
その理由は明らか。次の「引き裂かれたカーテン」でけんか別れしてしまったためハーマンとヒッチコックが組んだ最後の作品になってしまったこと、監督と主演女優のくだんのエピソード、そしてそのために、病み、歪んだ登場人物を取り揃えた物語が作品として何とも魅力の乏しいものになってしまい、評価もすこぶるつきで低いこと、それらの後付け情報、二次的要素は嫌でもついてくる。

ただ、それ以上に感じるのは“「めまい」よもう一度”だ。
スコアがやけくそに思えるのは、あくまで前述した聴き手側の要素のため。作り手は、自身の名曲「めまい」が忘れられず、あの衝撃と甘美を再び追い求めているようだ。「めまい」が恋しくて恋しくてたまらず、おのずとより刺激的に、より情動的にと高じていっているけれども、空回りの感が否めないのが悲しい。それは、スコティがジュディにマデリンを、ヒッチコックが‘ティッピ’・ヘドレンにグレース・ケリーを求めたこととまさに重なり、いじましいというか、いたいたしくもある。

が、ハーマンにはいじましさもいたいたしさも失礼というもの。「めまい」において、ソール・バスの名作タイトルバックと相まって“らせん”のイメージを見事に表現してみせた彼は、ここでは“下降“とそれを妨げるヒステリックな“緊張”を描く。下降は、意識の下に閉じ込められた病みの原因と対峙する鎮静と治癒の行程。そして、それに対するマーニーの哀しい抵抗。そのモチーフが執拗に繰り返される。
「めまい」のクオリティーとは天と地の差の、中身の薄っぺらな読み物のページがめくられるようなオープニングとエンディングのデザインも、これまた冒頭程なくと最後に映し出されるマーニーの実家の遠景のいかにも作り物然とした様子も、「マーニー」は哀しいおとぎ話であると図らずも示しているようだが、ハーマンの情熱は、監督にも見捨てられた二重の意味でいたいたしい異形のシンデレラ譚にせめてもの奥行きを与えている。それは、ラストにマーニーが見せる再生の萌芽とともに、ささやかな、でも紛れもない救いなのだ。

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