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zoom RSS “円”は異なもの味なもの

<<   作成日時 : 2009/01/31 21:12   >>

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去年ミステリチャンネルで放送された日本名作アワー「幻の女」は、アイリッシュの「幻の女」が原作。塚本邦雄の戦前版推理小説私選ベストの上位にランクさせている旨の一節を読んでも食指が動かなかったが、第1回、ヒロインが拘留された恋人と面会するシーンで突如思い出した和田慎二の「愛と死の砂時計」がやはり「幻の女」を元ネタにしていたことを知り、今さらながら読んでみた。
『円はみな中身がからっぽなものだよ、と彼はうっかりいいかけたが、このさい、そんな言葉は興ざめだと思い、黙っていた。』(稲葉明雄訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)
「彼」は主人公のヘンダースン。からっぽと断じるところに“わきの甘さ”が、でも興ざめと黙るところに彼の“救われよう”がある気がして。
上のフレーズは“幻の女”の次のせりふを受けてのもの。『…わたしはなんでも、きちんと円をとじて終わるのでないと、気がすまない性分なの。』
樫山文枝主演のドラマはおもしろかった。ただ、女がなぜ現れないかの説明が不十分なのは物足りない。その点、原作はきっちり落とし前をつけていた、私には力技とも思えるやり方で。円が閉じていなくとも平気なたちだったら、“幻の女”にはなっていなかっただろうに。

映画「X−MEN」は好きなシリーズだけれども、「…ファイナルディシジョン」があんなにも破壊と怒りに満ちたものになってしまったのは悲しかった。エグゼビア、加えてパトリック・スチュワートとしての存在がいかに抑制をもたらしていたことかと思うのは、紛れもなく「新スタートレック」の影響。最終回のラスト、初めてピカード艦長はクルーたちのポーカーに加わり、真俯瞰でとらえた円卓とそれを囲む7人の円は銀河と化する。彼らのつながりと、艦長の物語であるだけでなく彼らの物語であることが沁みる、感動の大団円である。

「中心的」には「セントリック」のルビ、「奇癖家」には「エキセントリック」のルビ、この1行に仰天したのはチェスタトンの「詩人と狂人たち」(中村保男訳 創元推理文庫)。エキセントリックってそういうことだったの!信号待ちでぼーっと見ていた前の車のスペアタイヤカバーの「RECREATION」のスペルに、レクリエーションは“RE−CREATION”、再び創造する、再生だったとわかったとき以来の衝撃!目からウロコ、頭にトンカチ(もちろんビニール製の)!中心から外れることが風変わり、異様とは、生きづらそう、程度の問題だけど。

セントリック−エキセントリックの構図に強迫を感じたら、円相で解放を。円形でありながら全く中心と周縁を意識させない円相は、ぐるっと一筆書きの円環。禅はわからない、ただ視覚として解放が得られる。そう思えるならそれでいいんだと思う。第十図に現れる童子が環をつなぐ十牛図もそう。自己探求する気持ちはない、でも見てると和んでくるのがわかる。それは貴重なことなんだと思う。

ヘンダースン、たしかに円はからっぽであることがポイント。ただ、もっとポイントなのはからっぽに“する”こと。そしてもっともっとポイントなのは、からっぽであってからっぽでないこと、なのかもよ。

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