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zoom RSS 「世界の終り」で「炎のうた」を聴く

<<   作成日時 : 2008/02/24 22:59   >>

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「でもわたしは知らない 自分が熱いのか冷たいのかを」
「いいえ私は怖いということがよく分からない。」
前者は、先日初めて知った大岡信の詩「炎のうた」の一部。後者は、福永武彦「世界の終り」中の、その昔私を凍りつかせたヒロイン・黒住多美のモノローグの一部。

地元の文学館開催の書評を書くというゼミナールで「忘却の河」が取り上げられているという新聞記事で、福永作品の書評を書かせるか!と驚くとともに「世界の終り」に思いを致していたところ、そのとき読んでいた本で「炎のうた」が紹介されていた。
一見似ているような言葉遣いながら、語り手の境地が正反対であることに愕然。
いいえ私は怖いとは思わない。いいえ私は怖いということがよく分からない。私はずっと前から、怖いという一つの状態の中に生きて来て、それと怖くないという状態との間に、区別をつけることが出来なくなっている。(中略)それに私はもうとっくに滅びてしまっているのだから、前に、ずっと前に。
冒頭の多美のモノローグはこのような前後の中で語られる。
「怖いということがよく分からない」は、すなわち大丈夫なのかどうかもわからないということであり、その意識は私を固まらせた。多美を見る立場でしかない哀しさとともに抱くことになったのは、怖いと感ずることのおののきではなく、怖いという状態にずっとあることへの恐怖だ。何より怖いのは、“滅びてしまった状態にずっとある”ことなのだ、滅びることそのものではなく。

多美は自分の恐怖をまばたきもせず見つめている。そして私は彼女のモノローグに魅入られそこから立ち去ることができない。
が、「炎のうた」は、彼女のモノローグの前に立ちすくむ私にも、一つところにとどまっていてはいけないこと・いられないことを受け入れさせた。

新書大賞に輝いた「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)の福岡伸一が新聞広告で引用していたのは、「万物は流転する」「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」のヘラクレイトスと鴨長明の言葉。まさしく古今東西を問わずの真理、ローリング・ストーンズ、「転がる石は苔むさない」だ。

この真理を毅然とうたい上げる強く美しい「炎のうた」を、一人でも多くの方に知ってほしいと思う。
わたしに触れると
ひとは恐怖の叫びをあげる
でもわたしは知らない
自分が熱いのか冷たいのかを
わたしは片時も同じ位置にとどまらず
一瞬前のわたしはもう存在しないからだ
わたしは燃えることによってつねに立ち去る

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