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zoom RSS 金川欣二著「脳がほぐれる言語学」−「能見良かったですね」で考える

<<   作成日時 : 2007/08/17 01:12   >>

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前記事への「能見良かったですね」というコメントに返事を書いていて手が止まった。

はなから投球内容を良かったと言ってもらえたとばかり思っていたけれど、“復活できてよかったね”“久々の勝ち星おめでとう”という意味だったのかもしれない。だったら何だかズレた返事になってしまうので、「ああいうピッチングできるんだから」と添えることで“わたしは投球内容がよかったことをよかったと思っています”という発信ができないか試みた。

ということを、ちくま新書の金川欣二著「脳がほぐれる言語学」の205ページ、『「いい加減」はいい加減だ』(以下、『』内は同書からの引用)という部分で突然思い出した。「いい加減」の意味は一つじゃないということから連想された次第。

「良かったですね」に対する無意識の取捨選択。なぜ自分は“はなから投球内容を良かったと言ってもらえたとばかり”思ったのか。

主軸の一角にと今季臨むも結果が出なかった能見篤史。はっきり言って降格は一月遅かった。その分降格時のダメージも大きくなってしまったが、1軍で貢献する日は必ず来る、その気持ちは本人もファンも同じ。復活は当然でなければならない。当然であってほしかった。
何とか試合を作れるピッチングができますようにとか、どうぞ2勝目がつきますようにとか、そういうことは試合中必死で祈った。その思いは、「3年目になるのに…」と彼自身言及した試合後のインタビューをピークに自分なりに満たされたらしい。当然は当然として無事成就できた。その時点で、2軍での努力が報われたことへの感激、ねぎらいには一区切りついたんだと思う。かわって前面に現れてきたのは投球そのものに対する称賛と次回への期待。“復活できてよかった、よかった”で終われない。それなりの投球を積み重ねてなんぼだけど、次に期待できるいい内容だったのが本当にうれしい。
そういう思考の流れがあったので、復活への祝福ではなく一投手としての評価と受け取ったんでしょう。

ということで……
あとがきに『自分で「正解」を探し出す第一歩になればいいと願っている』とある。この本で「良かったですね」の多義性と自分の選択を思い出し、無意識の思考や願望をたどるに至ったわけで、著者の願いはここで一つ叶えられているとご報告。これもセレンディピティ。前提がなぜ前提となったのか探るのはエキサイティングなことだ。
ただ、この本、早速の『初代・林家木久蔵(木久扇)』の記述にこれからは「木久蔵」を使うにも気をつけなければいけないんだなと気づかせてくれる一方、『「アンチ巨人」の人は(中略)やっぱり巨人ファン』だなんて過去の遺物も紛れ込んでいる。筆者は色紙に『ギャグもまた真なり』と書くそうだが、『言語ギャグ』には気をつけろ!だ。

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