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zoom RSS シャーリイ・ジャクスン「塩の柱」「歯」

<<   作成日時 : 2006/10/10 21:41   >>

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早川書房の異色作家短篇集の「くじ」。

例の「蝿男の恐怖」には原作本があったのか、これは読まなくちゃ!という「蝿」の隣にあり、ついでにと手にとった。著者についても作品についても知識・情報は皆無。
読み始めてとんでもない世界に出会ってしまったのかもしれないという思いにとらわれる。

訳者の解説がなければ、エピローグ、原題の意味するところは知りようもなく感謝するばかりだが、何も知らずに読んだがゆえに全然違った味わい方をしてしまった。

作品を読むにつれ、日常の足元に口を開けてついて回る底のない闇とか、自分がその中に身を置いているどうすることもできない不安、抗えない恐怖を色濃く感じるようになる。決定的だったのは「塩の柱」だ。聖書はよく知らないが、チャールトン・ヘストンだかの映画で振り向いてはいけないと言われていたのに振り向いて塩の柱になってしまうシーンの嫌な感じは忘れられないもので、題名を見たときからその嫌な感じが甦ってきたのだが的中。

正確にいうと的中ではない。“塩の柱”には生を欲する者ほど云々とか過去に執着する者ほど云々みたいな教えがあるそうだが、それに関してはよくわからない自分は、主人公にとって瑣事が瑣事でなくなり通りを横断することもできなくなるくだりで、ほかのすべての人には何でもないことなのに自分だけ違和感に襲われ身動きがとれなくなる狂気と隣り合わせの不安に覆いつくされてしまった。一応主人公には助けを求める存在があるのだが…。
福永武彦の「世界の終わり」と「去年の夏突然に」とポランスキーの「テナント 恐怖を借りた男」を思い出した。

そして「歯」。エピローグと原題が頭に入っていればこんな受け取り方はしなかったんだろうが、「塩の柱」で“世界の終わり”にただ一人置かれてしまった身からすれば、紺のスーツの男は実は自分が行きたいところを指し示してくれているにほかならない。ヒロインには歯の痛みと鎮痛剤と睡魔ゆえ、こちらは行動力の欠如とか無知とか他人の目に対する意識過剰ゆえ陥っている茫漠とした違和感の世界から解放してくれる存在だ、たとえ行き着く先もまた破滅だったとしても。
彼は悪魔ではなく自らの心がつくり出した天使だし、主人公は「ふらふらと彼についていって」しまったのではなく、彼により自分の内なる声を耳にするに至り望んで今いる世界を後にしたのだ。もはや終末の中にある彼女にとってそれはせめてもの救いとの思いで読んだのだが。

訳者の解説との乖離にしばし呆然。作品の受け取り方は個人個人で違うのは当然だし、一人の人間でもそのとき置かれている状況で違ってくるのも事実、そこがまた鑑賞の醍醐味の一つということだ。私にとって「歯」は世界の終わりにあっての切なく甘美な物語である、耐えがたい疼痛を和らげてくれる麻薬のように。
かつての「ドグラ・マグラ」と同様、「塩の柱」「歯」と自分との間に何ものも存在することなく出会えたことをうれしく思っている。

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