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zoom RSS “内部の真実”

<<   作成日時 : 2006/08/15 19:19   >>

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8日に使った“内部の真実”という物言いは日影丈吉の作品から。最後に読んだのはかなり以前で、タイトルはいやというほど刻み込まれているのに対してすっかり内容は忘れている。何回か改めて読んでみようと文庫を手にするものの読めずにいたが、引用したということもあり今回はがんばって目を通し続けてみた。

もちろん全部が全部ではないが、人は覚えていたくないことや都合の悪いことを記憶から消去できるようだ。つけ加えるなら、記憶することを拒否した事実を何かのきっかけで時間を経て突きつけられたとき、それは記憶そのものとともに抹殺するに至る当時の心的状況まで甦ることになり、今度は逆に過剰な重みでもって刻み込まれることになる。

このたび無理無理文字を追い続けて、なぜ読み返せなかったかわかったような気がする。

1人の人間の死をめぐっての謎解きという一応の形態にしてはアンフェアで、はっきりいってどんどんいたたまれなさが募る展開だ。謎の解明にいざなっておきながら、徐々に現れてくるのは知るのを拒みたくなる真実。なおかつ、読み終わってもよくわからなさ、曖昧さが残るということで読んで不快になってすっきりできないとなれば、その記憶を封印して再読させまいとする意識下の心的作用もうなずける。

その曖昧さこそ日影丈吉の真骨頂だ。
自分だけの真実を内に秘めるのは、そして秘めざるを得ないような情熱や欲望を抱くのは、まさに第二部のサブタイトルそのままに「個の権利」ではあるのだが、その内に秘めたものがまっとうでなかったり過剰だったり不条理だったり、果ては何であるのか実は本人にもよくわかっていないという、立ちすくむしかない境地に読み手を連れていく日影丈吉。異国の花のむせ返るような香りが漂う闇に、甘哀しくも懐かしい乳白色の靄に歩を奪われ対峙するのは自分自身か。

読んだのは「内部…」とどちらが後先だったかもう覚えていないが、「地獄時計」はめちゃくちゃ響いてきた。おもしろかった。この衝撃と感動を最後に死んでもいいと思ったくらいだ。が、今は再び手にとる勇気がない。こういう作品に心底打たれた当時の自分の疾風怒濤の精神状態、“内部の真実”に再会するのはつらいから。
ドナルド・スポトーがヒッチコックに向き合って、そして訳者の関美冬がスポトーの著作と向き合って自身の解釈・発見に至ったというように、それと向き合うことによりおのれへの眼差しにつながる作品に出会えるのはこの上なく貴重で幸福なことである。

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