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zoom RSS 「侏儒の言葉」〜岸田 森〜阪神・能見

<<   作成日時 : 2006/06/21 22:23   >>

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芥川の「侏儒の言葉」の一節
恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見すること極度に鋭敏になることである

この言及がまさに真実と痛感するに至ったのは昔々のこと。その後ほどなくして、恋愛云々に限らず、いろんな場面々で気になるようになった対象にも当てはまり得ることを知ったものだ。

きょうの新聞を見てびっくりした。「往年の脇役俳優」云々ということで写真が掲載されている中に、若い、余りにも若い岸田 森の姿があるのだが、一目見て“能見!”と思ってしまった。面長の輪郭にちょいと切れ加減の目って特段特徴的というわけではないけれども、瞬時にして結び付いてしまった。

それにしても、私が目にした中で一番若い岸田 森だ。若いとかなんとかというよりも、初々しいまでの輪郭に、この世に対する生々しい問いかけすら感じる眼差し。その若者ならではともいえる世界への問いかけは、長じては「怪奇大作戦」の牧のニヒルさに通じるような気がする、哀しい結実ではあるけれど。その「怪奇…」での端正さには新鮮な驚きを感じたものだが、今回の新聞紙上の彼はそれよりずっとずっと若い。冗談じゃなく若くて美しい。ただただ驚くばかり。私が知っているリアルタイムでの彼は既に堂々たる異色俳優であったわけだが、きょうの写真は、後の姿からは到底想像もつかない水もしたたるような端正ぶりと、陽の当たるところに背を向けて楽しんでいるといった後年の行く末の“予兆”が同時に感じ取れてしまう貴重なもの。
そして、その二枚目ぶりに私は能見を発見してしまった。

キングコングの西野亮廣を見るたびに、その眉から上と鼻から下以外から、つまり目だけ、その目だって、まるまる全部じゃなく黒目のぐあいと目じりというごくごくポイントから能見を想起せずにはいられないことに、かねがね冒頭の「侏儒の言葉」の一項をかみしめていたが、きょうみたいなことがあると改めて芥川の箴言の前にひれ伏すばかり。逆に考えれば、きょうの写真が彼を見出し得るものでなければそう目を引くこともなく、まるでその内面までも滲ませているがごとき若き岸田 森の輪郭にも眼差しにも正対することはなかったかもしれないのだもの。でも、目にとまり、今は亡き人の若き憂愁に触れた。
岸田 森の魅力が奥深いものであること、そして「侏儒の言葉」がいかに真実を突いたものであるかということに改めて圧倒されると同時に、女性にも男性にも魅力的であったらしい芥川が“面長の輪郭に切れ加減の目”であることに気づき、何ともいえない感慨に包まれています。

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