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zoom RSS 「新月」−5月2日阪神vs巨人

<<   作成日時 : 2006/05/03 22:10   >>

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木々高太郎はよくもわるくも自負心とナルシシズムの人である。私は、大脳生理学者としてではなく作家としての彼に最初に遭遇したので、後に知った「パン食礼賛」等今となっては唖然とするしかない時代の壁云々よりも、当時の最先端を極めていたであろう生理学や心理学の知見に裏打ちされた客観性、そしてそれと並存する理想を追い求めるまつわる精神性とあふれる叙情性に満ち満ちた作品にうたれたものだ。

「新月」は、文庫本の解説によると「心理的解決の部分がわかりにくいという声」があり、それにこたえて「月蝕」という作品を改めて執筆しているというしろもの。実際読めば、わかりにくいという読者の声も、そして、読み手から“わかりにくい”と言われるような作品を記す作家・木々のありようも理解できるような気がして、大岡裁きじゃないが、両腕をおのおの引っ張られるような感覚にとらわれる作品である。
が、私が「新月」で最も心打たれるのは、メーンの事件にまつわる云々よりも、最後の最後の十数行で語られる、死んだ事件の関係者がその子供のために雇っていた乳母の言葉である。そこで述べられる乳母の心情といったら、一体木々はどこで仕入れてきたのだろうと思わずにはいられない、何ともこちらの胸を締め付けるものなのだ。

そして私は、能見の登板に関してその乳母の心境にならずにはいられない。今までは何となく“「新月」の乳母”を思い出すといった程度だったのだが、昨日の登板で自分がすっかりその乳母の心持ちになっていることをはっきり認識するに至る。彼の降板の際、“あぁ、もう投げている姿は見られないのね”という寂しさと同時に去来するのは、「ほんとに安心しました。生きているうちはいつも心配で堪らなかったのでございますが」という乳母の言葉そのものなのである。
これでいいわけはないんです。マウンド上での姿にあまりに心痛を感じ、退いて安心を覚えるだなんて、プロとしていつまでもそれじゃいけないことはよーくわかっています。でも、とにもかくにも彼は“信頼され得る存在”になる途上。当分、「新月」の乳母の心情に耐え続けましょう。

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