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zoom RSS 藤林聖子&ジェームズ・エルロイ

<<   作成日時 : 2006/01/02 20:20   >>

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とっくの昔に書いている人は書いていることだが、自分としては文字にするのがどうしてもこれまではばかられていた。でも、紅白で布施明が熱唱し、大河出演絡みもあり細川茂樹に加えヒビキやイブキらもNHKに登場、そして本編も大団円を迎えつつあるということで解禁とします。松の内にはよそうかなとも思ったんだけど。

「少年よ」が布施明の歌唱力とも相まって堂々たる名曲であることは誰の異論もないことだろう。が、私は初めてこの曲を聞いたとき、というか冒頭の歌詞を聞いたとき、耳を疑った、冗談でなくおぞけ立ったものだ。

J・エルロイの「キラー・オン・ザ・ロード」が日本で出版されたとき、あの忌まわしい事件との“偶然の一致”にはだれしも震撼とさせられた。この一致は一体何なんだと驚愕させられたはずだ。が、そのときは個人的には、エルロイというその人間としてのありようそのものからして“特筆すべき”作家の類まれな資質が、洋の東西を越えて犯罪に至る人間の心理に到達し得た一つの結実と自分なりにおさまりをつけた。
この作品の執筆と事件発生を時系列的に考えて(ま、考えるまでもないけど)、例のフレーズは本当に偶然の一致だ。だが、「少年よ」の歌詞においてはそれは当てはまらない。この作詞家が創作する時点には既にインプット済みのことだ。事件のことをまだ知るに至らない子供には、あるいは事件のことがなければ、詞そのものとしてはそれは素晴らしいさ。少年のピュアさを表す実にいい歌詞だ。でも、私たちは事件を知っている、世の中のほとんどの人間があの言葉を既に耳にしてしまっている。そんな中でどうしてあのフレーズを使えたのか私には理解できない。“つかえる”フレーズだと思ったんだろうか、世の中の人ももう忘れる、あるいはそのうち慣れると考えたんだろうか。作詞家が使ったとしても、放送局の段階とかでクレームはつかなかったんだろうか。協議検討の結果よしとなったんだろうか?
でも、やっぱり使ってほしくなかった。あの言葉については、忘れようったって忘れられない、慣れることなんかできないという存在の方が多くないかな。私は忘れるべきでないと思っているし。そして、今あの事件のことを知らない子供たちだって、長ずるに従いいつか知るようになるだろう。自分がヒーローとしてあこがれていた番組の名曲たる主題歌の歌詞と切っても切り離せない事実としての事件を知ったとき、どんな暗い気持ちになるだろう。番組そのものとは全然関係ないとは承知しても、かなりショッキングなんじゃないか。「ウルトラマン」や「セブン」、「帰ってきた…」に反映されていた時代背景や差別の問題等々の一端を知っただけでも重いものを飲み込んだような感覚を覚えた私からすると、この先、何らかの形で今の子供たちが「少年よ」の歌詞とあの事件とを並べられたときの衝撃を考えると、それこそ気が重くなる。また、並べられたときに何も感じないような人間にはなってほしくないという矛盾した気持ちもあって……。
本当にあのフレーズは使わないでほしかった。

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