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zoom RSS 三百人劇場ともお別れ ─ ロッセリーニ特集

<<   作成日時 : 2005/09/17 21:29   >>

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また一つ、私が足を運んだことのある劇場が消える。私は専ら映画を見るためだけに行っていたが、“あの俳優、この俳優も現にここで演じているのか”とやはり他の映画館とは違った感慨を抱くことのできた空間。

一番印象に残っているのは、何たってロッセリーニ特集。5週間連続して通った。ロッセリーニ・イコール「無防備都市」という知識と印象しかなかった自分にとっては“目からうろこ”体験といってもいいだろう。だって、たしか「殺人カメラ」「アモーレ」から始まったんじゃなかったかな。ちょいとおまぬけ、のんびりほのぼのテイストの「殺人…」、そして、片やほとんど寓話として、片や人間の心の極限として“報われぬ愛”を描いた二つのエピソードの「アモーレ」、ロッセリーニっていうのはこういう作品も撮っていたのかと思わされた、なんていうのはほんの序の口だった。(それにしてもフェリーニの大男ぶり、堂々たる風貌にはかなり意外だった。彼の作品からは、抱いているコンプレックス・複雑さがそのまま外見にも現れているんじゃないかというイメージだったから)「インディア」にも驚かされたもんだ。ドキュメンタリーといえばドキュメンタリーなんだが、「無防備…」の監督にとってはこれもまた同様の生々しさなのだなと思いを新たにさせられた。
そしてバーグマン。自ら彼のもとに走ったのだから後悔も何もないだろうとは思うが、なおそれでもさまざまな大きな困難があったろうことは想像にかたくない。どう言ったらいいのか言葉が見つからないのだが、私が“不思議”なのは、彼女を擁して撮った彼の作品のほとんどがヒロインを苛める厳しさとか苦悶、そしてそのまんまだが「不安」を描いていることだ。もちろんその葛藤を乗り越えヒロインはまた一段階たくましくなるという流れだから見ている者は救われるのだが、作品中バーグマンが追い込まれる苦境というのは、ヒッチコック的サスペンスでもなければ、「誰がため…」や「さよならをもう一度」のあふれる愛情がゆえの苦悩とも違う。本当に人間として追い詰められていくさまを描くというのは、さすがネオレアリズモの巨匠というしかないのか。
やっぱり一番強烈だったのは「ストロンボリ/神の土地」。物語どうこうよりも、どんな人間もちっぽけに見える、まさに神の土地、人間の侵入を許さないような土地の圧倒的存在感だ。というか、こんなところでまで生活を営もうとする原初的・生物的本能と肯定的いえばそうなるのだろうが、その対極の“神”をも畏れぬ種の保存欲、つまり人間という種の保存欲・増殖欲を私はポジティブのみにとらえられなくなり、それ以来、生を拒んでいるとしか思えないような自然に生きる生物に対しては「うわあ、こんなところでも生きていてすごいな」という感動とは一歩距離を置くようになった。

地方からの上京者としては、繁華街でもなく特に文教地区でもないところにあんなふうに劇場が静かにたたずんでいることそのものに、カルチャーショックとまではいかないものの、「なぁんかいいなぁ」という羨ましさを感じたものだ。その劇場がなくなってしまうんだものね……。本当に淋しいとしか言いようがありません。

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