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zoom RSS プロレスから教わったこと〜目的と手段

<<   作成日時 : 2005/04/23 20:44   >>

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目的と手段を取り違えるとそこに待っているのは不幸であるということを教わったのは、新生UWFが新日に出戻ってきたころの“イデオロギー闘争”にまつわる文章においてだ。「目的と手段と、どっちがどっちだかわからなくなるなんてことってある?」と思えた私は本当に若かったんだな。その後、さまざまな場面、分野でその不幸はよくあることだと、むしろそういう勘違いをしていることの方が多かったりするものだと実感するようになる。
ただし、以降の話は、誰かがそういう取り違えをしたというのではなくて、私があることに接した際その目的と手段とを誤ってとらえてしまったというお話。

「ニュースステーション」のお天気コーナーの美人おねえさんの作家デビューはかなり大きな話題となったものだ。しかも、そのテーマが、当時、社会問題として表面化しつつあった摂食障害だったこともインパクトがあったし、ブリミア(過食症)をアノレキシア(拒食症)と同じ発音の「巨食症」としたセンス、才気は見事の一言。(こういう言葉遊びは楽しいけど、日本語は同音異義語が多すぎる。おまけに、音が同一なばかりでなく意味まで似通ったりしちゃうんだから)「巨食症の明けない夜明け」だ。
摂食障害者の自分でもどうすることのできない衝動、やるせなさ、淋しさをリリカルかつドライに描いていた。“夜の明けなさ”がやりきれなかった、本当に。圧巻は、今でいうデパ地下、食品売り場の描写だ。もはや「あふれんばかり」ではなくて事実あふれているありとあらゆる食べ物を、それぞれにぴったりの古今東西の絵画、美術になぞらえ、実際に食べたくなるというよりは、美術品として愛でたくなるがごとき豊かで麗しい表現は素晴らしかった。過食症者の目にはまさにこのように映っているんだろうと思った。
が、偶然松本氏のインタビューを読み私のこの作品に対するスタンスは一変する。彼女はこんなことを語っていた。自分はこのような行動をとる人の気持ちは全く理解できない。しかし、多くの資料、著述、そして実際の患者らのデータ等を徹底的に読みこれを書いたと。正直びっくりした。そりゃあ作家にはいろいろなタイプがあるが、まさか「巨食症…」がそのようなアプローチで書かれたとは。摂食障害に悩む者の心理の構造・機序を作家として理解すべく試み、そして彼らへ、救いとまではいかなくとも、重荷を少しでも軽くする方向の道筋を示唆・提案してみようという気持ちが筆をとらせたとばかり思っていたから。それ以来、表紙を開くことはなくなった。できなくなった。手にとる気すらなくなった。
それから随分たってからだ、勝手に私が彼女の目的と手段を取り違えていたんだということに気がついたのは。彼女の目的は、まさに私が圧巻と感心した、リアリティーがまぶされたアーティスティックさが美しい「表現」なのだ。極めて細緻かつ絢爛な描写。しかしその対象は、人間がビノキュラ(顕微鏡じゃないぞ、あくまでビノキュラだ)レベルで見ることの可能な“世界”だ。ヨコエビの足もシロツメクサの子房も、恐らく顕微鏡レベルでは松本氏の興味外だろう。しかしビノキュラで目にすることの出来るそれについては、彼女は端麗優美に描くことに意欲と自信を持つのではないか。そしてその能力を有していることだろう。彼女はアーティストというよりはアルチザンと形容した方がふさわしいのではないか。摂食障害は、表現材料の一つ、手段にすぎなかったのだ。そう考えると道理が通る。クールビューティーという往年の女優の形容があるが、そういや「巨食症…」の世界、その展開そのものが技巧的美しさに満ちた実に醒めた目線で語られている。

ある時期のプロレスのイデオロギー闘争にかかわる著述からはいろいろなことを教わった。それらに接することができて本当にいい勉強ができた。人の見方は百人百様だが、私は実に感謝している。

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