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zoom RSS 枇杷と赤影

<<   作成日時 : 2005/03/25 20:22   >>

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橙色とも朽葉色ともいえない、少し粉をふいたようなやっぱり枇杷色としか表現できない枇杷がだ、ある一幕を目にしてからは、私にとっては枇杷イコール赤影となってしまった。もちろん本放送でもなければ再放送でもない、今は懐かしいLDで観賞していたときに、あたしの心に何ともいえぬ郷愁と感慨をもって深い深い印象を残したワンシーン。それは、「仮面の忍者 赤影」において、赤影、青影、白影の3人が道中食事をするのだが、いつものように青影はおむすびをほおばっている、白影さんにからかわれながら。そんな2人に微笑みながら、赤影は何と枇杷を食べているのだ、皮をむきつつ。枇杷だぞ、枇杷。林檎じゃないぞ、蜜柑でもないぞ。枇杷なんだ。
あの中途半端でいまいち皮をむくのもめんどくさいような大きさ、でも食すればいかにも日本的な上品な甘さにひたれる枇杷。赤影は2人の様子に目を細めながら皮をむきながら枇杷を食べている。その情景を目にしたとき、制作当時の古きよき日本のありようと、赤影に枇杷を食させるというゆかしさ、余裕を感じずにはいられなかった。
晩年近くの坂口氏の云々には私は目をつぶっている、耳をふさいでる、大好きな関根 勤によるコメントにも。だって、坂口祐三郎の赤影はあたしにとって永遠の存在だし、ましてや彼は故人となってしまったのだから、まだ若くして。
あの一場面を目にしてからというもの、枇杷の、今では珍しいとさえいえるその存在と、皮をむくのは面倒とも思える前近代性、が、いざ味わったときの上品な甘美さは、まさしく坂口赤影以外の何物でもなくなった、私にとっては。

エンディングにおいて、青影は両手を赤影と白影とつないで実に幸せそう。それを見て思ったことがある。子供にとっては、必ずしも両性、つまり男親・女親が必要というわけではないのだと。性にかかわることでもなく血のつながりでもなく、誰かの十分なる愛情があれば、「この人に自分は愛されているんだ」との実感があればその子は幸せなんだろうなと。屈託のない笑顔とそれを受ける満面の笑みを互いに交わせる相手がいるということは最高だ。赤影と白影の自分に対する愛情の充足感と彼らへの全幅の信頼感があふれているあのエンディングは3人の幸福で満ち満ちている。それは、今の時代からしてみれば涙が出そうになるぐらい微笑ましい。

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