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zoom RSS 「マルコヴァルドさんの四季」

<<   作成日時 : 2005/03/17 21:13   >>

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10歳ぐらいのとき父に買ってもらった岩波少年文庫。何に惹かれたって、そのおしゃれとしかいいようのない挿絵。恐らくこういうのをエスプリに満ちたとか形容するのかもしれない。が、その挿絵に増して私にとって魅力的だったのは、1年を四季に分けてのそれの何年か分というその規則性。“春・夏・秋・冬”のパターンが繰り返される目次は目にするだけでワクワクした。そして読んでみれば、そこに待っていたのは「これ本当に子供向け?」という何とも言えない世界。貧しい労働者マルコヴァルドさんを中心に描かれる庶民の生活。“おもしろうてやがてかなしき”という物言いがあるが、“かなしゅうてやがておもしろき”または“おもしろうてかなしゅうてやがておもしろき”という風情。ポイントはどうあってもおもしろきが最後にくることだ。労働者階級の哀感とかペーソスというのとは微妙に趣を異にしている。そういうウエットさはなく、可笑しいエピソードが淡々と描かれる不思議な心地よさに包まれる。子供ながらその子供向けらしからぬ作品世界に、これは永久保存版と大切にしてきた。

イタリア語をかじった者なら遅かれ早かれまず100%出会うといっていいだろうイタロ・カルヴィーノ。いつも思うことだが、ある人物が亡くなってその追悼であんだけ盛り上がるなら、存命中にもっともっと取り上げてもいいんじゃないのか?ま、世の中そういうものだといえばそういうものだけど。彼とマルコヴァルドさんが結びついたのは、カルヴィーノの存在を知ってからどれだけたってからだろう。灯台下暗し、何気なく目をやった本棚の「マルコヴァルドさんの四季」の背表紙に彼の名が。ええっ、これって彼の作品だったの!?「彼を知ってから一体何年たつ?全く気づかずにいた私っておばか」という思いと、「この作風いかにも彼だな」という思いが錯綜。彼なら、貧しき者の悲哀も、重苦しくなく、どこかに救いを伴った軽やかさをもってしてこのように描けるはずだ。小学生の時分から彼と接点があったことに感慨と運命を感じたりして。
日本語版の「パロマー」の目次は、大項目・中項目・小項目に見た目も整然と構成されている。原書ではどうだったのかわからない。私の手にしているペーパーバッグ版ではそうなっていないから。もともとそうなっていなくて日本語版でそうしたなら、日本の翻訳者と出版社の大手柄だが。とにかく、科学の世界にも造詣が深いカルヴィーノは、幾何学やパズルの世界の法則性・統一性も好んだようだ、生物学的非対称性、カオスの根源性に興味を抱き魅了される一方で。生へのチャレンジとつながる文学への挑戦は、文学を何でもありの懐豊かな世界としたい彼の情熱のあらわれだ。
「冬の夜ひとりの旅人が」は彼の試みの結実。「マルコ…」で垣間見せた諦念のどこか突き抜けたドライな明るさを散りばめながら、章ごとのタイトルの命名とその内容の位相的なずらしで遊んでみせている一方において、その職人的技術と意地で、読み手と読まれ手の融合・境界の消失を描いてみせている。自身のよって立つところを自ら融解させ書物を提供する側としての優位性をあいまいにする取り組みには、そこまでやってくれるかの感嘆を誰しも覚えるだろう。      
存命なら、エッセイや論評に加えもっと物語を物してくれたんだろう。思いもよらぬ世界をまだまだ繰り広げてくれたに違いない。幸か不幸か不勉強か、私にはまだ未読の作品がたんとある。自分が死ぬまで存分に彼を堪能できるというものだ。

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