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zoom RSS 「ドコモだけ」と「カシュクールな人々」

<<   作成日時 : 2005/03/01 22:40   >>

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ドコモだけのCMのバージョンが新しくなってしまった。前の方がよかった。だって、郷田氏めちゃくちゃ“輝いて”いたもの。だめだよ、郷田氏はレギュラーにしなくちゃ。

ところで、なぜか私は怪物ランドと「カシュクールな人々」が結びついてしまう。湾岸戦争前の深夜番組バブル、正直あのころは楽しかった。「カノッサの屈辱」筆頭に。「カシュクール…」は、やっぱ心理もの・うわさもの(富田隆氏監修・出演)ということと、当時出始めの“カシュクール”というアイテムのまだよくわかんなさってのがミソ。そして、深夜番組では明らかに出遅れていた日テレ系だったということも(だったよね?)「お、日テレもけっこーやるじゃん」って感じでかえってポイント高くしてた。怪物ランド、出演してたっけか?それともその前後の番組に出ていたのかなぁ。
が、それら以上に私にとってこの番組の決め手だったのは、何といってもメーンテーマだ。そうでしょう、そう思わない?あのおどろおどろしくかつ美しい(まるで伊版横溝&市川&大野ワールドだな)アンジェロ・バダラメンティの「ブルー・ベルベット」のテーマだぞ。あのどこか人間の欲望の底辺をそそるようなメロディには、どんな深夜であっても「おっ、きたきた」と画面に向かわせるものがあった。

週に1回ぐらいは心の奥底にある澱をさらってみる方が生きやすいと思う。澱による重さを溜めないというのも一つだし、さらった澱の汚さから自分とその周囲のありようについて顧みるのも一つだし、たまっていたものに、あるいはA・バダラメンティ的な、夜光虫のごとくインモラルに光を発しているものを見つけるかもしれない。それを嫌悪したり許容できなかったり醜いとする人は、排除したり再び生成されるのを防ぐ手立てをとればいい、そういう努力をすべきだ。あるいは、容認し得たり生来のものと納得したりその光に魅せられたりする者は、それがどんな輝き方を見せるのか観察していけばいい。そして、それが自分にとっての美であること認識すべき。ただし、絶対他人に迷惑を及ぼさない範囲においてね。
真善美という物言いがある。これは、最上位の真の前提には善があり、その善の前提には美があるということと私は解釈している。つまり、何を美とするかによって善と真のありようも方向づけられるということ。だから、仕事上・生活上の混乱や情念からふっと解放されるときができたら“単純”に自分の心をさらってみるといいと思う。ほんとに単純に。その上で自身にとっての美はどういうものなのか、穏やかにゆったり思いを馳せられる時間がとれるといいよね。物の本では、しばしば時間の使い方というのはその人の能力次第と書いているようだけれども、自分の経験からすれば、凡人・鈍物にはな〜かなかそうもいかない、できないです。さぁ、仕事中、食事中、歩行中、いかにぼーっとした自分の時間が調達できるか、工夫の日々だ。

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