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<<   作成日時 : 2005/02/02 20:40   >>

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発売当時5回配本まで購入して以来ごぶさたしていた。百閧ノ久作、ロアルド・ダール、そしてカルヴィーノにブッツァーティというラインナップに惹かれて求めたのは"新"の方の一冊。

何年かぶりに読んで、かつて5冊でやめた心境を改めて追体験した。
確かにどの作品も面白い。編者らの「趣味のよさ」をあらわした珠玉のオムニバスといったところか。が、どうしてもカタログを眺めているような気になってしまうのだ。まさしく編者たちの意図はそこだ。自分たちの豊富な引き出しから"こういうのは入門編としていかが"といった作品を提供し、ここで引き会わせてあげたことであなたが興味を抱いた作家の世界に一歩踏み込むそのナビをしてしんぜましょうってね。
その意図はわかっていても、このシリーズのおかげで未知の作家に出会えるのだとわかっていても、私にとっては手引書としてやや冗長で、かつ割高感を否めない。それでいてカタログの宿命たる物足りなさを感じてしまう。どんなに豪勢で豊富でも前菜ばかりでは、一時おなかいっぱいになっても、ほどなくして"満たされなさ"に見舞われずにはいられない。だから5冊目でやめたのだ。

私はアルコールと数種類のあてがあれば主食は要らない。乾きものオーケー、漬けものオーケーだ。アンティパストとワインだけ、粒マスタードと黒ビールだけで十分。メーンとなるものは別になくていい。しかし、本を読むという行為においては別物。そこに掲載されている作家がどんなに豪華で種類が豊富でも、カタログはカタログ。それに何冊目を通しても、何回読んでも、本当の"商品"を手にしたわけじゃない。メーンたるものに食いついてこそ充足感は得られる。もちろん上手な買い物をするのにカタログは大切。いかに参考になるカタログを集めるかというのも、買い物──つまり読書の嗅覚の一つであることは間違いない。きっと多くの人がここからエッセンスを摂取してその読書生活を充実させていることだろう。ただ、私自身がそうできないというだけのこと。一冊の中身が充実していて、気に入った作家の他の作品にアプロ−チしようとする前にこれを読み切るのに精いっぱいという因果な私のキャパの貧弱さ。
貧乏性でせっかちなんだな、カタログにこんなお金と時間はかけてらんないって。財力なし、物理的・精神的・人格的余裕なしってか。そして当てずっぽうに踏み出して、「つまんなかったー」という書物に出費したりして。ま、それが自分の性分というものだ。

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