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zoom RSS 「愛情の計算」:エピローグ

<<   作成日時 : 2004/12/13 22:21   >>

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12月12日で取り上げた「愛情の計算」にはホセ・ファーラーとその息子役としてジェニファー・ジョーンズの息子が出演しているが、実は私には2人の出演作に共通の"疑問"を持っている。
J・ジョーンズとJ・コットンの「ジェニーの肖像」は私の心に深く深く刻まれている作品。J・コットン演じる孤独な売れない画家は、ある日一人の少女と出会う。不思議なことに彼女は会うたびに成長し、美しい女性となり彼と愛し合う……。そのヒロイン役がJ・ジョーンズなわけだが、顔はJ・ジョーンズで体は子供、そしてJ・コットンと並んで歩いているというシーンがある。
一方、ロートレックを描いた「赤い風車」においては、顔はJ・ファーラーで体はロートレックの身長というショットが見られる。
今では映像の加工なんて当たり前の技術だけど、「ジェニーの肖像」1948年、「赤い風車」1952年、うーん、そのころからもうあのように不自然でなく見せる技術があったのだろうか?……あったんでしょうね、実際見せてくれているのだから。モノクロ時代の特撮をばかにしちゃいけない、そもそも「月世界旅行」のように映画というのは人を驚かせるためにできたようなものなのだから。それにしても、少女の体にJ・ジョーンズ(当時既にローバト・ウォーカーJrのお母さんであったのだ!)の頭部っていうのはちょっとすごいぞ。

”孤独な魂は時をこえて呼び合うもの”、「ジェニー…」を思いそんなセンチメンタルな思いにひたれたときと、芥川の「侏儒の言葉」が私の"全て"となったときは重なる。瑣事にとらわれ怯えているのは同じだけれども、加えて客観的に他者から見ても十分重大事といえることにも相対している現在、「ジェニー…」を見て涙を流せるかどうかわからない。芥川の越し方行く末よりも、子供が生まれたとき「これで自殺できなくなった」と思ったという山口瞳のエピソードの方がより重く迫ってくるようになってしまった。それならせめて瑣事からの呪縛は解いてくれと思うけれど、それはそれであの手この手で私を苛む。こういう状態だからこそ「ジェニー…」や「赤い風車」を見て心に潤いをとも思うが、感動できなくなった自分に落胆することになったらそれこそ救いがたいなと考えると封印するしかない。別に"熊掌"を望んでいるわけじゃないのに……。どうすればいいんだろう?しょうがないな、"人生はトレーニングなしでオリンピックに出場させられるようなもの"だから。

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